けテぶれ〜学習力を伸ばす宿題革命〜

自立した学習者を育てるため、「けテぶれ学習法」を考案し、実践しています。教育に関することを千思万考し、見えたものを投稿します。フェイスブック:https://www.facebook.com/shota.kuzuhara ツイッター:https://twitter.com/barikii

サボれる構造が子どもたちを自律へ導く

要約

子どもたちは「サボれる構造」と「努力の成果が明確に示される環境」に置かれることによって

「サボってしまう自分」に出会い、そんな自分を乗り越える必要性を受け取り、自律し始める。

 

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僕のクラスの場合、宿題は自由提出です。量も内容も方法も自由。出さないのも自由。

つまり、子どもたちはサボれるのです。もっというと、毎日今日の宿題をやる必要があるのか無いのか、あるのならばそれをサボるか、やるかという判断を迫られるわけです。自由提出にせずとも「けテぶれ」では量・内容・方法の自由を保証していますので、やるべきことから目をそらし、作業的に宿題を済ませてしまうことが可能です。

 

この「サボれる環境」の中で、一定の子どもたちは簡単にサボり心に負けます。

さらに、そのことを正当化しようともします。

忙しかったから、用事ができたから、体調が悪かったから

時には「やったけど犬に食べられた」なんてことを言い出すことも

その真偽を教師が確かめることはできませんし、嘘と疑いのサイクルを回したくない。

別にいいんです。自由提出だから。あ、そうなんだ!大変だったなぁ!と100%その話を信じます。

そして、じゃあ明日取り戻さなきゃね!未来の話をする。

これで軌道修正ができる子もいるし、できない子もいる。

 

まだまだサボる。

(毎朝宿題の提出具合を調べているわけではありませんので、こんな会話もなく、黙って宿題を出さない子も当然います。その中には、本当にやるべき事がなくて、今日はいいか!と選択している子もいる。僕がすることは単純に、その日提出された宿題をみる。それだけです。)

 

サボるとは、本当はやる必要があるにもかかわらず、やるべきことから目をそらし、楽な方に流れていってしまっている状態のことを言います。

宿題をやっていないという状態からはその状態が、「学力が十分にあり、やる必要がない状態」なのか「サボっている」のか判別は付きません。教師をやっているとこういう判別ができそうな気もしますが、それが落とし穴だったりする。客観的で明確なデータがないまま、こちらの看取りだけでサボり心を指摘するのは熟練の業がいりますし、それに失敗したときにかなり大きな信用を失う。これは避けたい。

 

だから、客観的で明確なデータがでる仕掛けを用意します。それが「小テスト」です。

テスト範囲は明言しておき、そこへ向けて授業と宿題で学習を積み上げる。

簡単なのは漢字テストですね。週1回、新たな範囲を10問ずつテストします。

漢字は学校で学習する時間は殆どありませんから、小テストで合格点をとるには、家で学習しなければならない。

でも必要な練習量は子どもたちそれぞれ。その結果が客観的で明確な数値で見れるのが学校での小テストなのです。

 

サボった子は当然ここで点数が取れない。

その子達が次にすべきことは。「分析」です。「テスト」の後は必ず「分析」

まだまだ自分で考えさせるのです。

なぜ今回こんな点になったのか、学習方法にまずさはなかったか。自分の苦手は把握していたか。心に負けてはいなかったか。

つまり、自分はサボっていたのか、頑張ったつもりでその努力が足りなかったのか、もしくは努力の方法や方向が誤っていたのか。ということを判断するのです。(これは学習力のABCという観点で子どもたちに明示しています)

これを考えさせた上で2日後に再テストです。失敗したらそれを取り戻すステージを必ず用意します。

 

こうして自分に向き合う機会を大量に設定する。毎日家に帰ってから。毎週の学校の小テストの後。

このサイクルの中でやるべきことから逃げてしまう自分に出会い、それを乗り越えようと子どもたちは自分の足で歩き始めます。

自律し始めるのです。大半の子はこの仕組の中で自分で気づき、自分で変化し始めます。

変化は小テストの点数として、そして日々のノートの記述として、明らかに確認することができます。

ぐんぐん点数が伸びたり、数ページにも渡って学習するようになったり、自信と意欲いあふれた字になったりと。

 

子どもたちは「サボれる構造」と「努力の成果が明確に示される環境」に置かれることによって「弱い自分」に出会い、そんな自分を乗り越える必要性を受け取り、自律し始めるのです。自律。自分を律すること。自分を律して、やるべきことに向かい合う強さを身につけるのです。

 

これは学校のお勉強という世界だけで通用するような小さな力じゃありませんよね。

学校生活の多くで、そして人生の多くのタイミングで必要な力です。

けテぶれのシステムはこの「自分を律して、やるべきことに向かい合う力」を、学校のお勉強というステージを使って鍛えることができるのです。

 

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ただ、こういった仕組みの中で”全員が”変容できるわけではない。

それを判断するのが、数回のテストが終わった後です。

何度も同じような点をとる。宿題への取り組みに変化がない。

こういう子たちへの対応は4章で述べます。

 

 

 

 

コラム~自分を律して、やるべきことに向かい合う力」って本当に必要なのか~

いま世の中は「やりたいことに思いっきり取り組もう」「やりたいことを仕事にしよう」という考え方がとても大きくなっています。

僕もその考え方には大いに賛成です。

しかしこれは「やるべきことからはどんどん逃げよう!」というメッセージとして捉えるべきではないということも押さえておくべきだと思います。

今の日本は手段が目的化され、本当はやらなくてもいいことが「やるべき」として押し付けられる状況が多いために、「やるべきこと=悪」といったイメージがあるかもしれませんが、それは間違いです。

あるYOUTUBERの動画でこれが象徴的に示されていました。そのチャンネルは複数人からなるグループで運営されているのですが、動画を編集する担当の人物が編集作業をサボり、他のメンバーから怒られているのです。やりたいことを仕事に!という考え方を象徴するような職業であるYOUTUBERですが、その中にも「やりたくないけどやるべきこと」というのが存在し、それから逃げると、周りの人間からの信用を落とすのです。

やりたいことを実現するためには、なにかをやるべきであり、そこから逃げれば当然、やりたいことは実現できないのです。

それは「やりたいこと」にモチベートされているから、勉強に向かい合うのとはまた別ですか?

 

いざやるべきことに向かい合った時「めんどくさいなぁ」という気持ちに打ち勝つという行為に変わりは無いのではないでしょうか。

自分を律して、やるべきことに向かい合う力。これは人生において大切な力だと僕は思います。