けテぶれ〜学習力を伸ばす宿題革命〜

自立した学習者を育てるため、「けテぶれ学習法」を考案し、実践しています。教育に関することを千思万考し、見えたものを投稿します。フェイスブック:https://www.facebook.com/shota.kuzuhara ツイッター:https://twitter.com/barikii

学習力をつける宿題革命

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今日は「けテぶれ」と「学習界マンダラ」についてのお話です。

 

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つまり、「宿題」と「授業」学校での学びの大黒柱についてです。

これらを改革するというお話です。

 

「学習法」そのものを鍛え、自立した学習者へと向う道筋となるように。

困難に当たった時、対処できる方法論と、乗り越えられたという経験をさせられるように。

また乗り越えられなかったときの次なる一歩を考え出せるように。

自己の考えを開示し、他者の考えを受容する体験に価値を見いだせるように。

 

ではいきます。

けテぶれとは

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というものです。

宿題革命。なぜ?

自立した学習者。なぜ?

まずこの2つのなぜにお答えします。

 

◯なぜ宿題を改革する必要があるのか

僕は先生になってから宿題を出すのが嫌でたまりませんでした。

宿題ってめんどくさくないですか?

 

  • 毎日毎日代わり映えのない課題を出して、やらせる。
  • 忘れてきたら、なんとなく怒らなきゃならない雰囲気。
  • だから子どもに嘘をつかせてしまう。怒られたくないから。
  • そんな状況だと知っているから、子どもを疑わなくてはならない。
  • それでいて、これが基礎学力の保証になっているかもわからない。
  • 少なくとも上位層にとってはひらがなの「あ」を100回書いてきましょうというのと脳に対する刺激は同じ気がする。だってわかっていることをただ再生するだけだから。
  • 下位層にとっては全く自分で取り組めないレベルだったりする。
  • だからといって、到達度別に個々の宿題を毎日作成してやるほどの余裕はない。

 

じゃあなぜ出しているのか。

 

たいてい言われるのが「学習習慣」の定着のため

f:id:human154:20180921190040j:plainまず、上に挙げた通り、少なくとも学力上位層の子にとっては「学習」にはなっていない。さらに、学校はできない子が出てくる状況を極端に嫌います。その結果、宿題として出される課題は学力下位層でも問題になる。これが何を意味するかと言うと、学力中位層にとっても、学校から出される宿題は「学習」になっていない可能性が非常に高いということです。

だから「学習習慣」はつけられない。

でも毎日やらされる。毎日やるからには何らかの行動や思考が習慣化してしまう恐れがある。それはなにか。

 

子どもたちに「なんで宿題をやるの?」と尋ねてみましょう。
なんと答えるでしょうか。
ご自身が子供の頃を思い浮かべてください。

 

「え?自分が子供の頃って…そこからだいぶ時間が経ってしまっているけどいいの…?」

 

いいです。なぜなら学校教育で行われていることは本質的に何も変わっていませんから。140年前から。

 

話がずれました。
子どもたちに「なんのために宿題をやるの?」と聞けばなんと答えるか。

「先生に怒られないため」

これが大半ではないでしょうか。
あとは「宿題をやればゲームができる」とか。

 

子どもたちは無意味な作業的宿題に毎日取り組む中で、「面倒くさいけど、立場が上の人が言っていることにはとりあえず従っておけばいいんだ。」という思考や、「嫌な宿題(子どもたちの中では宿題=勉強)をすれば楽しいゲームができる。」という思考を繰り返しているのです。

 

つまり、無意味で作業的な宿題は、「学習習慣」をつけるどころか、

「無思考に与えられた行動を再生すること」と、

「勉強することを苦しみと捉えること」を、

毎日毎日繰り返させ、習慣化させているのです。

 

まさに百害あって一利なし。

 

メルカリに学校の宿題が販売されることは、必然の現象なのです。
その出品だけを取り締まってもなんの解決にもならない。
本質的な問題は、「無意味で作業的な宿題」を出している学校にあるのですから。

では次。

 

◯なぜ自立した学習者か。

自分で自分の学習を積み上げられること。

これに価値が無いという人はおそらくいませんよね。
自己学習力をつけることの価値は様々に語ることができます。
自己学習力があることに価値がある。有益である。
そういう説明は無限にできますが、ここではもっとさかのぼって、

「楽しい」か「楽しくない」かで考えましょう。

自分で自由に学習を積み上げるのか、人に与えられた知識だけをひたすらに飲み込み続けるか。前者の方が楽しいのは火を見るより明らかですよね。

 

例えばゲーム。

ワクワクして電源を入れてゲームを開始して、始まるのはチュートリアル
まず◯ボタンを押しましょう。するとジャンプができます。
では10回ジャンプをしてみましょう。
よくできました。次は…

こんなことを延々にやらされるゲームは面白いでしょうか?
勉強も同じです。
自分で学びという広大な海を泳ぎ回って初めてその楽しさに気づくのです。自己学習力をつけるということは、学ぶことを楽しめるようになるということなのです。
「楽しい」という感情はモチベーションの源泉として非常に強力です
学ぶことを楽しめる学習者。これは「自立した学習者」の要件になり得ますね。

では今の学校はどうか。

1年生、学校のお勉強にワクワクして進学してきた子どもたちが出会うのは延々と続くチュートリアルです。自由に動き回れる範囲が非常に狭い。
さらに悲劇的なのは、クラスには30人の学習者おり、たとえ自分がそのスキルを達成していても、その学習者たちの大部分がスキルをクリアするまで、自分は待たされるのです。
そんな環境でどうやってゲームを楽しむことができるのでしょうか。

立場を変えて、もし自分がそのスキルをどうしても習得できなかったとしたらどうなるか。

時間が経過すればゲームは自動進行します。
そのスキルが次のステージで必要であるにもかかわらず、自分のスキル習得を待ってはもらえずゲームは進む。
そんな学習者が次のステージで躍動できるでしょうか。次のステージでもついていけない。もう努力をやめます。だって黙ってじっとしていればゲームは進んでいくのですから。

画一的一斉授業が生み出す光景とはこのようなものではないでしょうか。
このような環境で学習者はいかにして、学ぶ喜び、考える楽しさに出会うのでしょうか。だから「自己学習力」なのです。

 

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学びの海に子どもたちを降ろしてやるのです。

自分でやってみる。トライ・アンド・エラーを積み上げる。

そういう経験を通して子どもたちは自分なりの学習方法を見つけ、学びの海を泳ぎ回るようになる。

学ぶ楽しさに出会う。これが子どもたちを力強い学習者へと成長させるのです。

 

 

※「学習」の定義

ちなみに、けテぶれの文脈で出てくる「学習」とはいわゆる教科のお勉強にとどまりません。僕は学習という行為を「自分の外側にあるスキルや考え方を自分の中に定着させる行為」と定義しています。

だから、廊下の並び方を高めようとするのも、組体操を頑張るのも、「学習」です。ということは「けテぶれ」の考え方で取り組むことができます。

その「型」を学ぶステージを「教科のお勉強」「宿題」としているのです。

そしてその「型」の修練の中で「自立した学習者」になるために大切なものに出会わせる。

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ではなぜ「宿題」か。

毎日繰り返せるから。
学校の授業時間を圧迫しないから。
自己学習力=独学力を鍛えるにあたって、一人で取り組む家庭学習のステージが最適だから。

 

こんなところでしょうか。
だから、「けテぶれ的思考」を「教科のお勉強」に適用し「宿題」で取り組ませることで、「自立した学習者」に必要な経験を積み上げます。

 

※こう考えると中学校における「部活」は上記の要件の多くを満たしていることがわかります。
小学校では「宿題」がけテぶれの主戦場になりますが、中学校の場合は「部活」がそのステージとして機能する可能性を多くはらんでいます。
実際、子どもたち自身が考え、練習するという手法を用いて全国優勝を果たしている部活があります。
中高の先生はぜひ、ご自身が指導している部活への適用も視野に入れながら読み進めていただきたいと思います。

 

 

 

※自己学習力を育ててもらえず大人になるミライ

乗馬体験で係の人に付き添われて狭いフィールドを一周するのと、
馬に乗ってモンゴル平原を駆け回るのでは、どちらが楽しいでしょうか。
馬に乗る者としてが逞しいのはどちらでしょうか。

自己学習力をつけてやるということは、そういうことです。

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自分の学習を自分で操れるようになるということは

 

①学ぶことを楽しめるようになる

②学びの世界を自由に駆け回れるようになる

 

ということを意味するのです。

今の宿題なんて、それを取り組んだ先に乗馬が出来るようになる未来すら見えませんのでさしずめメリーゴーランドに載せられているのと同じですね。

しかも恐ろしいことにこういう状態が中学、高校、大学まで続く。

自分の力で学びの世界を自由に駆け回る経験をさせてもらえないまま、ずっとメリーゴーランドに載せられた学習者はどうなるのでしょう。想像に難くないですね。

学びの楽しさに気づく事なく、学びへのモチベーションは下がり続ける。

さらに、自分で選択し、自分で歩みを進めるという経験をさせてもらえず、「自分ってどんな人間なんだろう。何ができて何ができないのだろう。何に喜びを見出すのだろう」といった問いにも向かい合わない。

 

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こんな大学生、日本に山ほどいると思いませんか?

もう少し厳しいことをいうと、ご自身は、そうではなかったですか?

(僕はそうでした。)

 

そして就職活動でいきなり広大な平原を見せられて、さあどこに行きたい?と言われる。

上のような大学生が、主体的に自分の進路を選べるはずがない。

そしてなんとなく就職する。

大企業など昔からある大きな組織に入ったら、そこでまたたメリーゴーランドが待っている。

学校の先生でもいますよね。ただただ同じところを毎日、毎年くるくる回っているだけの先生。

こんな国民を育てて、大丈夫なのでしょうか。

だから、自己学習力なのです。

自分の力でどこへでも行ける力。

義務教育でこういう力がつけられるカリキュラムが組まれるって、めちゃくちゃ頼もしいですよね。

公教育でこういう力が狙えるってものすごい可能性を感じますよね。

できるんです。けテぶれなら!!!

 

では実際にけテぶれはどうやるのか。

残りは動画で!

www.youtube.com